ミスタードーナツ 電車
珍しいラッピング電車に乗ることになりました。
昨日、津島線の事故の影響で、昼間に見ることが無い準急 須ヶ口 行きに乗ることになりました。
(追記:と思っていましたが、その後調べたら事故に関係無く、準急 須ヶ口行きは昼間に運用されておりました)
これから年末に向けて事故が増えないように祈るばかりです。
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名鉄の好きな車両で最近まで残っていた形式に、5300系・5700系と言うのがあったのですが、二扉車両と言うことでラッシュ時の使い勝手が悪く、昨年の秋に全車廃車にされてしまいました。
昨年の名鉄のダイヤ改正で、西枇杷島駅での待避が無くなった。
今日は、あおなみ線でSLの試験走行が開催されています。
試乗に応募したのですが、あえなく落選。1200人の枠に12万人分もの応募があったとか。
試乗はしたいのですが、走行状態を見たいわけでも無いので見に行くことは取りやめました。
今回の試験走行にやってきたのは、C56-160との事です。昨年行った梅小路蒸気機関車館でも見かけました。
ちなみに前回名古屋でSLが走ったのは武豊線開通100周年記念の時だそうで1986年。この時走行したのも今回と同じSL、C56-160だそうで、実に27年ぶりとの事です。
試験走行が終わって、あおなみ線での走行も問題なし、となったら、肝心のSLはどうするのでしょうか?
JR東海はそもそも動態保存機も所有していないし、走らせるノウハウも持ち合わせていないと思うので毎回JR西日本から借用するんでしょうかねぇ?
それはそれで少し寂しい気もします。
リニア鉄道館のC57-139あたりを動態復活できないでしょうかねぇ。C62-17や稲沢のD51-823は大き過ぎると思いますので。
鉄道コレクション第15弾を購入したら、幸運なことに馴染みのある名古屋鉄道のキハ21が封入されていました。
現在作成している週刊SL鉄道模型のジオラマで走らせるのにちょうど良いと思ったので、専用の動力ユニットTM-11Rも購入して動力車にすることにします。
昨年の3月12日に全線開通した九州新幹線鹿児島ルート。
東日本大震災の翌日だったと言うこともあり、派手な門出にはなりませんでしたが、開業時のCMが話題になりました。
それから1年。
BトレインショーティーでCMで使われたN700系のR10編成が販売されました。
まとまった休暇を取得することができたので、かねてより行ってみたいと思っていた梅小路蒸気機関車館に行くことにしました。
扇形車庫と転車台が特徴の梅小路蒸気機関車館。冬の平日と言うこともあって、館内(構内?)はずいぶん空いていました。
保存されている機関車の詳細は、鐵紀行の保存鉄道欄にて報告いたします。
SLスチーム号にも乗車できました。
明日の名鉄のダイヤ改正で運用が無くなるパノラマカー。
本日帰宅時に、反対方向に向かう「普通」運用のパノラマカーに偶然遭遇することができた。
今日で乗り納めの乗客がたくさんいるのか、乗車人員はいつもより多め。
まだまだ走れるパノラマカーだが、最近の省エネ車両に比べて割高な電気使用料などの理由で走れなくなるのも、この時代ならではの理由だろうか。
子供の頃のあこがれの車両、パノラマカー。その最後の働きを見送る事ができて僥倖でありました。
朝のラッシュ時間帯。
名鉄新清洲から名古屋を超えて通勤していると、乗客の行動が不思議に思えてくる時がある。
その一つが、乗車後の乗客の立ち位置。
誰一人して車両中央部に向かわず、ドア付近で押し合いへしあい、互いにぎゅーぎゅー詰めにしあうこと。
立ち客も一歩として中央に寄る訳でもなく、逆にドア付近から押されてきた乗客を睨み付ける始末だ。
東京並みのラッシュを経験したことがない、この地方の人にとっては、「どうせ名古屋で降りるのだから、ドア付近にとどまりたい」と言う思いなんだろうか?
名古屋からさらに乗車を続ける人は確かにそんなにいない。いても2割くらいのかな?
しかも神宮前まで行けば殆どの乗客が入れ替わる。
だからドア付近に集中する、と言うのは理解できる。
が、車両中央部が比較的空いているんだから、そこに行きたい人がいたら、少しくらい避けるとかしてくれてもいいのになぁ、と思う。
この思いは我が儘なのかな?
毎日新聞の記事「路面電車:復活に向け特許申請--岐阜地区新鉄道設立準備室 /岐阜」によれば、「岐阜地区新鉄道設立準備室」が中部運輸局を訪れ、軌道法に基づく軌道事業特許申請書を提出したとの事だ。
特許と聞くと、別の「特許」を思い浮かべるが、鐵っちゃんならば軌道事業特許を思い浮かべるだろう。と言うわけで、この記事を書いた記者はきっと鐵っちゃんなんでしょう。
自分の故郷を走っていた電車なので清須とは関係ないですが、昨年春に廃止された路面電車の行方は気になります。すでに廃止から1年近く経ち、架線ははがされています。
しかし、軌道のほとんどが残っている旧岐阜市内線などの3線。
名鉄が既に廃止された鉄道について「新事業への行政側の関与を求めて」いるのか良く分からない。結局タダで譲渡はしないという事なのか?
それとも新会社が設立されても、結局は協力を求められると思って、その辺りを牽制しているのか。
今後の行方を見守っていきたい。
新しいデジカメNikon「D-70」を購入したので、鉄道関連の写真を残そうかと思います。まったくの素人なので、自己満足の域を出ないとは思いますが。
そんな訳で鉄道関連のブログを新たに「鐵紀行」として立ち上げることにしました。
清洲日和.blogのモブログでは鉄道ネタを扱う事はあるかもしれません。
名鉄の鳴海駅が仮駅舎に切り替わった。鳴海駅周辺の連続立体化工事の一環で従来の本線から、高架化のための仮線へ切り替わった模様。
仮駅とは言え、立派な設備を有している。もう少し手を入れれば十分本駅として使えそうだ。
この土日のうちに切り替わったのかな?
通常であれば、愛環の三河豊田から新豊田に電車に乗って仕事が終わったら帰るのだが、今日は、最近日が暮れるのが遅くなったのと、自分自身の健康のため、名鉄三河線の上挙母駅まで歩いて行くことにした。
三河豊田駅前から、愛環の高架に沿って道路を北上する。
愛環の新上挙母と三河豊田の間は、名鉄の挙母線の跡地に高架が建設された所である。
丸山町4の交差点と司町の間あたりで愛環が若干左に曲がる所がある。
その地点から右に分岐する形で舗装がされていない道路がある。これが挙母線の跡地のようである。
司町の交差点から1本北の道を東進して上挙母駅方面(北)を望むとこんな感じ。
同地点から三河豊田駅方面(南)を望むと、その先には愛環の高架が見える。
そのまま線路跡を北上する。公民館まで来ると遙か向こうに三河線の架線が見えてくる。
さらに進むと上挙母駅が見えてくる。
上挙母駅の挙母線の分岐まで近づくことができました。
挙母線は昭和48年3月に廃線になりました。そしてその路盤の一部を国鉄岡多線に明け渡し、今は愛環の高架として使われているのです。
と言うわけで1週間にわたる東京出張が終わった。
18時30分には東京駅に着いたのだが、帰りの新幹線の座席指定を取ろうとしたら、その時点で
20時台まですべて指定が埋まっていた。
こだまで3時間かけて帰っても良かったが、素早く帰りたかったので、そのまま18時46分発の
のぞみの自由席車両に乗って帰ってきた。
もちろん座れる訳もなく、1時間40分立ち続けて、すこし疲れた。
もう少し指定席を取りやすい仕組みを用意するか、金曜日の夜はもっと列車を増発して欲しいなぁ
と思った週末でした。
今週は東京で仕事。
明日(1日)から仕事のため、本日(31日)から現地入り。
そんなわけで3ヶ月振りに新幹線に乗った。
指定席は11号車の1番E席。すこーし期待。
何が?って?
JR西日本の所有する編成に当たれば、コンセントが使える席なのである。
で、期待通り西日本編成だった。
隣のD席に乗ったサラリーマンがおもむろにThinkPad S30を取り出し、ある仕様書の校正をはじめた
ので、私はPCを出すのをやめて、外の景色を見て東京まで。
窓の外を走り抜ける町の灯りは、とっても幻想的でした。
昨日12日、14時台に乗車した急行「新岐阜」行きには新聞が山のように積み上げられた。
送付先なのだろう、ひとつの山毎に「新木曽川」などと記載がある。
名鉄は、今でもこういう新聞輸送を実施しているんですね。
降車(特急専用)ホームの豊橋寄りにある螺旋状の滑り台は現役なんですね。きっと。
今日は客先からの移動に名古屋市営地下鉄の鶴舞線に乗った。
今日は微妙な気温だったらしく冷房は止まっていた。私の隣には大きな鞄を3つも抱えた20代後半のおねーさんが座って雑誌を読んでいた。私はドアそばの端の座席に運良く座れていた。
列車は赤池方面から上小田井方面に向かっていた。
少しうとうとしていたところ、杁中あたりで女子大学生がどっと列車に乗ってきた。
車内がざわつき、エアコンが止まっているせいか車内の温度が上昇し始める。
そんな雰囲気を半覚醒状態で感じていたところ、顔に汗を感じたので手持ちのハンドタオルで拭いた。
すると隣のおねーさんが鞄の中をゴソゴソし始め、何かを探し始めた。
列車が荒畑を過ぎ、そろそろ鶴舞にさしかかろうとしたところ、隣のおねーさんはおもむろに鞄の中から何かのスプレー(制汗剤?)を取りだし、おねーさんの目の前の誰もいない空間に向けそのスプレーを「しゅーしゅーしゅーしゅー」と噴霧した。
私は「何をしでかすのか?」とぎょっとしたまま目を見開き、前方の風景を見ることしか出来なかった。
おねーさんは何事もなかったのようにスプレーを鞄にしまい。また雑誌を読み始めた。
周りの乗客を見ても「何だ?何だったんだ?」という感じの人が多数。
先ほどからうるさくしている女子大学生もしーんとしてしまった。
いやはや只のスプレーだったから良かったが、これが毒ガスだったりしたら。
そんな考えが頭をよぎり、背中にイヤーな汗をかいた一幕でした。
その噴霧おねーさんは伏見でさっさと降りて行きました。
一体何だったんだろう?
本日の帰り、乗った列車が7700系だった。2扉転換クロスシートの列車なのと、座れたのでとっても快適。
この列車はパノラマカーの増結用に作られただけあって、もともとは特急に運用されていた。
おかけで座席も豪華でとっても座り心地が良いので満足なのである。
本日の職場からの帰り、乗った急行が久しぶりに5700系の6両編成だった。豊橋方5701に乗り込む。
この車両は片側2扉、転換クロスシートで簡単に言えばパノラマカーや古豪5500系と同じ車内配置なのだが、扉付近の座席は格納式、つり革やつかまり易いように座席にも取っ手があり、(パノラマカーと比べて)通勤にも考慮した車両となっている。私にとってはパノラマカーに次に好きな車両だ。
通勤時のパノラマカー運用はやめて貰いたい所だが。
結局座れたから良いモノの、立つ身だったら「なんで転換クロス車で運用するかなぁ」って思うかもしれないけど。
5700系が片側3扉で、最新の装備だったら通勤運用にも特急などの優等車運用でも最強では無いか?と考えるのであった。
新年度が始まり、通勤・通学初心者がどっと増えた。(と思う。)
かく言う私も通勤場所が変わったのだから、他人の事をどうこう言う資格は無いんですけどね。
ロングシートの車両はぱっと見て何人掛けの座席かわからないのがそもそもの問題なのであるが、今日は流石に怒りを通り越してあきれた。
なんと7人掛けの座席に5人が占有して座っていたのだ。微妙な隙間を残して。
大柄な人が居たり、冬場に着込んでいる場合など7人掛けを6人で座っていたりすることもあるんだけど、さすがに5人はなぁ。
多くの人が立っているのにも関わらず、「自分だけ座れればいいや」という思いなのか、前に人が立っていようがいまいがお構いなしに座って居るんだもんなぁ。
もう少しづつ詰めて座れば、座れる人も増えるのに。
マナーが悪くなってきたのかなぁ。
こういうのが続くと列車利用の人がますます他の交通手段に移ってしまうのでは無いかと
危惧するのであります。
特に名鉄は車掌のアナウンスだけでなく、根本的にいろいろなマナーアップキャンペーンをして欲しいと思う。
たまたま東京の京王線に乗ることが多いんだけど、あっちはポスターやらシールやら吊り広告やらで
いろいろキャンペーンうってるもんなぁ。
話は変わって、たまに小柄な女性が何人も固まって座っているのを見て、よくよく人数を確認したりすると、実は7人掛けに8人座っていました、って事があって、これはこれで窮屈そうでかわいそうですね。
3月24日に、JR東日本 駅発車メロディーオリジナル音源集が発売されるそうだ。
10年ほど前に東京に居た際に、各駅の発車メロディが気に入って、NiftyServeのMIDIフォーラムでMIDI職人の方が作った発車メロディのデータを必死にダウンロードしたのを思いだした。
いよいよオリジナル音源のCDが発売されるとの事で、速攻で購入する事にした。
この話題を取り上げてくれていた「something like blog」さんに感謝。
関西の鉄道20社、電車内の携帯マナーを首都圏と同一ルールに(ケータイWatch)と言う記事を読んで、関東の鉄道会社に追随して関西にもこのルールが導入されると知り、中部圏の動きが気になった。
関東のルールは「優先席付近での携帯電話の電源はOFFに、優先席以外ではマナーモード設定にする。」と簡単である。ペースメーカをつけている人は優先席付近に、携帯のメールを使いたい人はマナーモードにして優先席に近づかなければ良いのである。
名鉄の車掌は「携帯電話のご使用は、まわりのお客様に迷惑ですからご遠慮下さい。」と、携帯電話自体の利用を制限するお願いを乗客にしている。通話は論外であると私は思うが、メールやWebの利用は許してもいいのでは無いかと考えていた筆者は、この関東ルールに賛成である。
ぜひこのルールを中部圏の鉄道事業者にも導入していただきたいと思うのである。
通勤には名鉄を使っているのだが、会社の帰り、新清洲駅での一こま。
今日の急行新岐阜行きは、往年の名車パノラマカーこと7500系の6両編成であった。
デビュー当時は特急用の車両として使われただけあって、クロスシートの2扉車で、座れれば
天国で、立てば地獄の車両である。
2扉車であるから、駅での乗り降りはそれなりに時間が掛かる。ましてロングシート車では無いから
車両中央部に居る客は、通路に立っている人を避け、扉までやってくる。それでなくても名古屋の
乗客は、東京の乗客と違って、扉近くの人はいったん外に出るなどして降りる客をスムースに
通さないから、予想以上に時間がかかる。
そんな事にお構いなしで車掌は言った「列車遅れますので、早く乗り降りしてください(超意訳)」
名鉄の車両運用は客として知った事では無いが、それでなくても通勤時間帯に不便を強いる
車両を運用しておいて、挙げ句の果てに車掌のこの言いぐさ。さっさと乗り降りしろと言う。
独占にあぐらをかいた、顧客不在の会社の社員を見た思いである。
子供の頃からパノラマカーが大好きであった一名鉄ファンとして、すごく残念な一言であった。
栄生駅からJR東海道本線のバラストを見ると、ギラつく油のようなテカリ具合の玉虫色と言うか金属系紫色というか…。そんなバラストになっていた。あいにく逆光でわかりにくいのだが、とても不気味で、環境に悪そうなのである。
名古屋市営地下鉄東山線のイメージカラーは黄色。
最近の列車はラッピング広告で車体すべてが広告状態。
名古屋駅で列車待ちをしていた所、昔の東山線の列車のような車体全体が黄色い列車が
横切ったのが目に入った。
今は金属車体に黄色のシートの列車が殆どなので、旧車両がやってきたのかと思い、
顔を上げてよーく見てみた。
何のことはない、劇団四季の「ライオンキング」の広告満載の車両でした。
1956年(昭和31年)の今日、東海道本線の大津駅と米原駅の間の電化工事が完了し、東海道本線の全線が電化されました。それを記念して1964年に鉄道電化の日として制定されました。
私鉄や市電は電化が早かったのですが、当時の国鉄の電化区間は、急勾配の箇所(碓井峠など)や、長大トンネル(関門トンネルなど)のみでした。
そんな中、東海道本線が電化されると、煤煙問題や、機関車の前後の付け替え問題を解決し、運用の効率が良くなることがわかり、その後の電化に拍車がかかりました。